絵奉納の儀「宗良親王」

雑誌ランドネの「神様百名山」という記事でご一緒させて頂いている山岳遍路家の廣田勇介さんからご依頼頂いて、「宗良親王」様の絵を描かせていただきました。宗良親王様は、西行法師に匹敵する歌人と言われる人物。ご依頼の時の廣田さんのメールはこのようなものでした。
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親王のうたは、明治維新の志士たちに愛唱されました。坂本龍馬も大ファンだったようです。其の中の一首、

「思いきや 手も触れざりし 梓弓 起き伏し 我が身 慣れんものとは」

つまり、「義のための弓。寝ても覚めても、そばにある。昔は手も触れることさえ、想像しなかったのに、これ程までに慣れてしまうとは。わからないものだな、人の一生とは。」

という意味。梓(あずさ)とは、正義のこと。

後醍醐天皇の皇子として生まれ、歌の天才として期待された貴公子が、40年も山野で寝起きすることを強いられ、寝ても覚めても弓矢をもって戦い続けた一生を、壮年の頃に歌ったもの。そこには後悔はなく、人生を達観して、逆に楽しんでいるような雰囲気が感ぜられます。戦乱の中でも、常に歌心を忘れなかった親王は、私にとって「芸術の神」となっています。
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絵は武装して座りながら、梓弓を携える宗良親王になりました。神様をイメージして描くときは、本当に背筋が伸びて心身ともに正される感じがします。そして浜松の井伊谷宮の宮司さんが大変気に入って下ったという光栄なお話で、先日の六月の大祭でご奉納して頂く運びとなりました。再来年150周年を迎える歴史ある神社であるにも関わらず、宗良親王を描いた絵がないため、皆さんが親王のお人柄をイメージ出来ず、誰が祀られているのか、あまり知られていないのが現状だということで…。ちなみに井伊谷宮は、大河ドラマ井伊直虎の舞台になった龍潭寺と同じ敷地にたっています。井伊直虎の先祖が、宗良親王を庇護されていた関係で、明治天皇が井伊家に宗良親王をまつる井伊谷宮をつくることをお命じになったそうです。

2019年6月26日

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